コラム
ちょっと一息、肩の力を抜いて見て下さい。
三角窓
△5年日記帳
昔から三日坊主を自任していた私が、つい先日、5年日記帳なるものを買った。
今までの私にはとても考えられないことであるが、買うからにはそれなりの見通しがあったわけである。
若い頃から何回も挑戦してきて続かなかった日記だが、なんと現在6年余も書き続けているのである。
平成6年全測連の事務局に勤務することになって、いよいよこれが最後の職場と思ったとき、わが人生の最後の仕事を心置きなく、そして立派に(?)やってやろうと言う気になった。
それには先ず日記でもつけて反省しながら日々を過ごすことだ、とつけ始めたのだ。これが、驚くなかれ殆ど毎日ノート1ページづつを埋めて4年間続いた。その後若干の空白はあったが、今も続いている日記である。
案外日記をつけている者が多いいのにはびっくりしたこともある。私の交友関係者からの情報だから勿論中高齢者が多いいのだが、そんな状況にも触発されて書き続けてきたのだ。
来年はいよいよ新世紀元年、一大節目の年である。70歳の平均余命は約15年とのこと、この際色々の計画はさて置き、その思考過程を含めて、記録しておき、振り返りつつ毎日を過ごすことは意義あること。新世紀にはもっと充実した日記にと思っていた。
今まで書き続けてきた日記は、いわゆる大学ノートで20冊程になるが初期の目的の反省の役目を果たさず、殆ど見ることもなく本棚の一角に積まれたままになっている。過去のことは大体は分かっているので、探して確認するまでもないと、つい見ることもなく過ごしてしまう。日記は書くことばかりに意義のあることではない。この辺で反省する時期でもあった。
日記帳は年末の書店や文房具店の店先を飾る。知られざるベストセラーだと聞いたこともある。
店先で沢山の種類の日記帳を見ているうちに多年日記帳が目に入り、これだと飛びついたのが5年日記帳なのである。3年のも10年のもある。1日分のスペースを考えたりあれこれ検討した結果、その中間をとって5年日記とした次第。これを手にするとなんとなく楽しく思われ、今から余生の展望が開けてきて心うきうきしてきたから不思議なものである。
まだ、新しい日記のスタートには早いが、もう欄外に2,3行書き始め、来年の参考になればと夢みながら楽しんでいるこの頃である。
反歌 新しき世紀の歩み何事も初心にかへり歩き初めむ
5年後の完歩のその日思ひつつわれは記さむその日その日を
2000年12月25日
三角窓
△世紀末
いよいよ20世紀も残り一ヶ月余となった。不安な響きをもった世紀末の一年であったが、波乱の、変革の要素を内に秘めつつどうやら新しい世紀を迎えることとなりそうだ。
世紀末といっても、それは大きな時の流れの中の一断面であり特に変わった要素があるわけではない。しかし良い悪いは兎も角、何か違ったことが起こるように感ずる言葉として世紀末という言葉が使われるのも事実だ。
世紀末現象と言えるものではないかもしれないが、政治経済の動きの現状を見るとき、大きな変化の胎動を感ずるのは私ばかりではないであろう。長野・栃木の県知事選で多数政党の推薦する候補者が無党派層の支持する候補者に敗れたこと、20日の森内閣不信任決議案に対する政変劇は、単発的な事件でなくこれからの大きな変化の前兆とマスコミでは報じている。
米国の大統領選の結果もまだきまっていないし、この混乱の影響は・・・
一方、景気は回復基調にあると言うのに、株価は年初の予想を大きく下回り年初来の安値を更新している。低金利で老後の計画を台無しにされた高齢者にとっては大変なことであり、個人消費が伸びないのも当然だ。
IT革命の発展もすさまじい。身近な生活環境にも変化が押し寄せている。
10月から導入されたパスネット(首都圏鉄道共通乗車券)を使用する度にその威力に驚いている。
ETCと言う高速道路の自動料金収集システムの導入も着々進んでいる。もっと身近な変化は12月から放送の BSデジタル放送だ。いづれアナログ放送はなくなるとのことだから、良く分からないが、慌しい変化が足元まできていることは間違いない。
新世紀に向かってなんだか慌しい。高齢者の一員である私等にとっては興味と同時にストレスばかりたまる世の中になるのではと心配されることである。
柔軟に環境の変化に対応できるようにせねばと思っているこの頃である。
反歌 終わりなき世の移ろいに区切りつけ励み歩むをわがこととせむ
一切の悪しきことみな捨て去りて新しき世紀に挑み歩まな
2000年11月24日
三角窓
△秋思ー二題
暑い暑いといっていたのはつい先日のことなのに、もう暖房が欲しくなるような日もある。暑さと寒さとに挟まれた秋の季節は実に短い。この時季には色々の行事が組まれ、忙しく過ごすことにもなる。
私が、建設省に在職したときに過ごした東北地建のOB会が毎年10月にあるので業務に関係する話題の収集もかねて今年も出席した。
発注者側と受注者側との接点に立っての話題は、面白く興味がつきない。その内の話題の一つ。
建設省としては、2004年までには直轄事業を全てインターネット上で電子調達することにしており、2010年までには地方公共団体も含めた全ての公共事業に適用することを目指しているけれども、これに対応した発注機関の、業界の準備、心構えは出来てるだろうか・・・いま、評判の良くない業界OBは心配顔である。
建設工事については、すでに年間予定、四半期計画が公示されており設計等もプロポーザルの場合は公示しており、コリンズ、テクリス等のデーターも整いつつあるし事務手続きはコンピューター化されているので、特に問題なく導入されるでしょう。受注者側としてもそれなりの対応は出来てるのではないでしょうか・・・との反応。確かに、いまやっていることをホームページに乗せるだけ、心配することはないのかな・・・
それよりも、後2ヵ月余に迫った省庁再編による準備、測量、設計業などの登録事務が本省から地建に移管されるのでその準備等が・・・と。胸のバッジをつまんで、これはどうなるのかな・・・工事事務所で立てている旗は・・・と
もう一つの行事への参加。それは私が所属している短歌の会(あけび)の全国大会が奈良の橿原で開催されたのでこれに出席した。
題詠「実」に寄せて
候補者の実のある言葉きかれざり選挙演説騒音と聞く
という一首を引っさげての参加だったが、時局詠はあまり反応はよくない。(拙作を棚に上げて)
翌日の吟行会(観光)は天気にも恵まれ非常に楽しかった。
東大寺、法隆寺、薬師寺を中心に見て歩いたのだが、私の好きな
ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲
佐々木 信綱
の歌を口ずさみながら、またガイドさんからの数多くの万葉歌を折り込んでの案内に、しばし古代を偲びつつ時を過ごした。
秋はゆっくり考えて行動できる時期、短い期間を有効に過ごさねば・・・
反歌 いづくにも万葉人のかほり立つ大和国原いざなはれ行く
ゆく秋にひとひらの雲いただいて歌人を感動させたる塔よ
2000年10月21日
三角窓
△夏の終わり・・社会変革論議
地球の温暖化が進んでいるかとも思わせる暑かった夏も、そろそろ終わりを告げようとしている。暑い夏に重要な政治・経済論議が活発に行われてきた。元中尾建設大臣の収賄事件に端を発した「あっせん利得法案」についてがその一つであり、景気の動向をどう見るかその対応策は、すなわち、0金利と補正予算の問題がその二である。0金利については、日銀が独立性をたてに政府の意向に反し緊急事態からの脱出策をとったところであり、その善悪は兎も角、評価は結果の分析を待たねばならないこととなった。
他の二つについては、今日(21日)から開催された臨時国会に提出され審議されるので、その状況を注目したいところである。
バブルの崩壊と金融ビックバンにより、まず業界に大変動が生じた。バブルなれから脱出出来ないでいた官界には、相次いで不祥事が発覚し、世論の高まりにより、この4月から「国家公務員倫理法」が施行されたところである。今度「あっせん利得法案」が成立すると、政・官・業にわたっての大変革の新しい方向づけが出来上がり、従来の社会構造からの改革が迫られることになる。
「あっせん利得法案」には、当初、問題ありとの意見があったが、いまでは、大きな流れにかき消され、そういう意見はまったくなきが如くである。
国家公務員倫理法の施行以来、OBとして、一律に交遊の幅が狭くなったことに違和感が生じ残念でならない。新制度になれないこともあろうが、今の消極的な殻に閉じ込めておくような政策はそう長続きはしまい。しかし、余りにも常軌を逸した事件の発生があったことを考えるとき,やむをえないかとも思うこのごろである。
補正予算では、与党の中からも645兆円の財政赤字の現状を見れば、これ以上の景気浮揚策の為の財政出動は悪だとの意見も出されている。これらの意見を踏まえて予算規模は決まったようだが、はたして中味は・・。建設関連業の一員としては、公共事業に対する風当たりが強いのが気になるところである。一方、IT関係には余りにも傾きすぎていないか。日本特有の総雪崩現象とならないことを期待したい。
反歌 バブル後の総決算も終盤か三界に巣食う道を閉ざして
水澄みて意欲ある芽を潰さんか歴史の窓をそと開き見る
2000年9月21日
三角窓
△談合問題のその後
永年、業界及び業界団体で苦労してきた当測量共済会の山本顧問が、(社)日本則量協会関東支部報2000夏季号に、談合についての随想を寄せている。
それによると、談合を(1)刑法上の談合(2)独禁法上の談合(3)その他業界の秩序維持のために行われる行為の三つに分類し、(3)には公取委の「入札ガイドライン」の行動類型の「原則として違反とならないもの」、「違反となる恐れがあるもの」があるが、この辺の議論が十分にされていないので違反事件後の反省が中途半端なものになってきたのではないかと指摘している。そしてこの問題は、抽象論はさけ具体的事案を取り上げて議論しなければ意味がなく、建設省が入札契約制度の見直しを進めている今こそやらねばならないことと、業界に決断を迫っている。
全測連での、独禁法の遵守キャンペーンや研修会を何度やってもむなしい結果の繰り返しに業を煮やしての提言だが、この一石に早くも、そうだそうだの意見が寄せられている。
罪とならない談合とはどんなものか・・・腹を割っての議論が本当に出来るだろうか・・・
建設省の設計・コンサルタント業務等入札契約問題検討委員会は、4月にその改善策を示したが、これらの業務をさらにすすめるために、発注者支援システムの制度化をすすめているようだ。
また、埼玉県では国体の競技施設の建設を巡り談合疑惑が相次いでいることをうけ、談合防止策を検討する委員会を設置し、県警本部から委員を入れ、談合排除に取り組む姿勢を示しているとのことである。
次ぎの臨時国会では、あっせん利得罪の法案が審議されることになっているが、ここでも談合問題が議論されよう。
いずれにしても、益々公正かつ透明な競争を促す施策が促進されることに間違いはない。しからば、各人が今やらねばならぬことは・・・
反歌 根元に巣食う虫をば退治せず改革とうは何とかなしき
日本の美風というを見直して世界の基準今ぞ学ばな
2000年8月21日
三角窓
△事務所の移転と共済会の充実
既にご案内のように6月下旬,わが共済会の事務所は、神田神保町に移転した。電話局は変わらないので電話・FAX番号は従前どおりである。
都心では、今も地価の値下がりが続いているらしく、テナント料金も大分安くなったようだ。従って、良いところに安く移転でき思わぬ拾い物をしたような気分である。何しろ神田本屋街のど真ん中である。知的雰囲気が漂っている。
環境の変化があると、気分も一新されいいものである。何かをやってみようという気にもなる。しかし一人ではなかなか動きがとれない。と思っていると、なんと身近に良き人材がいたではないか。全測連事務局を退任したばかりの山本義男氏である。
氏は、全測連に在職中の6年間、独禁法委員会・構造改善委員会担当として、半世紀にも及ぶ測量業界の知識・経験を活かし目覚しい活躍をした人である。私の在職中の4年間、不案内で戸惑っていた私を良く支援して頂き、お蔭様で大過なく職務を全うすることができた。
氏は、構造改善委員会が取り組んでいた、測量設計業のISO9000s認証取得の検討に当たって、自ら認証取得審査員の資格に挑戦し資格を得る等、70歳代の半ばを歩かれているとは思えないファイトの男である。先行きの不透明な時代そしてなにかにつけて構造改善が叫ばれるなか、測量共済会の発展に期待するところ大である。
反歌 手狭なる事務所を払い引越しす神田本屋の並ぶ真中に
十階の窓より覗く本屋街知的匂いの上り来るがに
2000年7月18日
三角窓
△歩け・・歩け・・
健康必勝法の一つとして今最も注目されているのが、「歩く」ことのようだ。私はもともと歩くのが好きで今でも良く散歩をしているが、数年前から地元の歩け歩け協会に加入して「歩き」に磨きをかけている。最近では月2回の定例行事に参加することが多くなった。
以前は、旗を立てた役員の後をぞろぞろついて歩く光景に違和感があり参加をためらっていたが、何回か参加しているうちに、独りではとても歩けない珍しい所を歩く魅力にもとりつかれ、小さな旅として歩けへの参加を楽しんでいる。
歩行距離は大体15km〜20kmなので適当な運動量でもある。
参加者は回を重ねる毎に増えて前回は350人の参加だとのこと。一人参加のつれづれに参加者の観察をすることになるが、目にし耳に聞くもの非常におもしろい。
参加者は定年前後の年齢層が多く7〜8割は女性だが、女性が主に二人以上のグループ参加であるのに対し、男性は単独参加が多い。その結果、女性は賑やかにおしゃべりを楽しみながら歩いているし、男性はただ黙々と歩いている者が多いことになる。単独参加の私は当然のこと後者の代表である。聞くともなしに耳に入ってくる話におもわず笑いを噛み締めることもある。
歩く仲間の中では「伊能ウォーク」は、結構人気が在るようだ。今から年末のフィナーレを飾る行事を楽しみにしている会話が聞かれる。私も昨年の出発の時には参加できなかったが、最後の行事には参加したいと楽しみにしている。
フィナーレの行事・・・朝日新聞社に聞いたところ、当初は2001年の幕開け(夜中)にゴールインを計画していたが、12月30日の横浜大会後31日と元旦を最後のウォークに変更するとのこと。
反歌 足強し口も達者で一日をしゃべり歩きぬ女性軍団
定年を過ぎし夫の日常を語る妻らの言葉鋭し
団体旗押立て歩く中高年余るパワーを風は運ぶも
2000年4月10日
三角窓
△伊能ウォーク隊を応援しよう
今、わが業界の元祖伊能忠敬の測量二百年を記念して「平成の伊能忠敬 ニッポンを歩こう」(略称 伊能ウォーク)が行われている。昨年の一月に東京をスタートし、二千一年の元旦に東京にゴールする二年がかりの大イベントだ。一日約三百人の参加を得て順調に行われているとの事だが、このイベントを盛り上げるために組織されたサポータークラブへの加入者が意外に少ないと聞いて驚いている。
私が全測連にいたとき「会員三千七百の底力・・」という言葉を良く耳にした。「測量の日」が制定された当時の勢いをさしての言だったのだろうか。そしてなお測量業のイメージアップが叫ばれているときである。私はサポータークラブが発足したとき、会員千人は軽く突破するものと思っていた。わが元祖のお祭りである。絶好の宣伝のチャンスなのだ。
ところが、伊能ウォークサポータークラブの事務局に会員状況を聞くと、一月末現在で三百人にも達していないそうだ。
伊能ウォーク隊は、昨年、東京を出発して関東、東北を経て北海道を巡り、Uターンし更に東北、関東、北陸を巡り大阪に着き年を越した。一月二十七日大阪を再出発した本隊は、二月二十日四国高松の県大会後四国を一周し、中国、九州、沖縄を巡り東京に戻ってくる。測量行脚をなぞった一筆書きのウォークは、今年一杯続けられる。
伊能ウォーク隊が、測量業界の発展の風を呼び起こし大成功のうちにゴールインをすることを期待したい。
隠居後の身に鞭打ちて十七年歩み初めしは二百年前
二年(ふたとせ)をかけて全国一筆書き伊能ウォーク四国路をゆく
2000年2月21日
三角窓
△2千年のスタート台に立って
私が測量共済会にお世話になってから、早くも一年を過ぎた。全測連事務局を退任して直ぐに共済会にきたものの、私のやるべき事が何なのか全く分からなかった。一年も経つとさすがに、少しは私の貢献すべき道が見えてきた。
その一つが、共済会のホームページにコラムを書く事だ。
昨年、既に幾つかのコラムを書いてきたが、パソコンの練習がてらやってみるかという気持ちだったので自分ながら心もとなく思っていた。ところが、ホームページへのアクセスが3千件にもなる事を聞くにつけ、もっと真剣に取り組まないと、折角アクセスしてきた方に失礼にあたると反省させられた。
そこで、年初の行事も一応終わったのを機会に、新しい気持ちでコラムに取り組んでみようと思った次第である。
しかし、 どんなコラムにするかまだ方針が決まっていない。一休みとの意を戴し、気ままに書いてみる事としよう。
二千年われにも節目の歳なれば描きし夢は輝きを増す
(喬)
測量との因縁
現在、測量とのかかわりの仕事をしていると、ある因縁めいた私の半生を思いだす。
昭和24年測量法ができて第一回目の測量士試験の業務手伝いが、私の生涯ではじめての賃金を得た仕事だった。長い学年末休み、旧陸軍参謀本部跡地でのアルバイトは忘れがたい。東京大学で行われた測量士試験の監督までやった。
昭和28年は就職難の年であった。農家生まれの私は、卒業間近になっても就職のあてもなくのん気に過ごしていたところ、建設省の地理調査所(現国土地理院)に拾われた。当時、公務員は人気がなく、職業感覚の幼稚な私にとってはやむを得ずといった就職だった。5年程して建設本省に勤務するようになってからは事務屋なので測量とは縁がなかった。
建設省を退職し、本州四国連絡橋公団そして都市計画コンサルタント会社にと転職した時にはこれが最後の仕事と思っていたところ、全測連の話が持ち掛けられ、双六の振り出しに戻る感じで事務局入りした。
全測連を退職するにあたって、馴染みになった測量関係と没交渉になる事を未練がましく思っていたところ、共済会の話があり、最もいい働きの職場と就職をした次第。最近40年ぶりに旧知の友と会ったりするにつけ運命の絆に結ばれた因縁めいた感情にとらわれるのである。やはり歳のせいであろうか。
以上の事を前提として、コラムへの再出発をしてみようと思う。ご愛顧のほど宜しくお願いしたい。
(小暮 喬)
2000年1月26日
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